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犯罪と家族

カウンセラー・理事長 前川哲治

(1) 犯罪の現況
本稿で扱うのはストレス型犯罪です。
  犯罪は強者型、中間型、弱者型に分かれます。弱者型犯罪は犯罪者が被害者意識をもち、恐怖、怒り、憎しみなどの否定的感情をストレスとして溜め、ストレス発散がからんでくる、ストレス型犯罪です。
10代の犯罪はすべて弱者型です。
これに対して、強者型犯罪は社会的には強者位置にある人による、我欲中心的な犯罪であり、ストレスと関係がありません。たとえば、贈収賄事件、選挙違反事件、汚染米販売事件などです。
  両者の間に中間型犯罪があり、強者型犯罪よりの犯罪と弱者型犯罪よりの犯罪が含まれます。たとえば、親による子どもの虐待事件は、親は子どもに対して強者の位置にありますが、親もまた、その親などとの人間関係によるストレスを溜めており、弱者型よりの中間型犯罪です。犯罪者がストレスを溜めていても、犯罪者が成人であれば、中間型犯罪になります。また、贈収賄事件で、犯人は社員であり、社長の意向に従っていた場合は、中間型犯罪です。

今年(08年)で見ても、いくつかのショッキングな犯罪があります。親殺し事件と、親による子殺し事件である虐待事件が増加しています。
  1月には、青森県八戸市のアパート火災で、母子3人が刺殺された遺体がみつかりました。長男(18)が逮捕されました。母親の腹部が切り裂かれ、人形一体が詰められていました。
3月には、土浦殺傷事件がありました。容疑者は、別の殺人事件の容疑者でもある。24歳の無職男性です。家族との会話や食事はほとんどなかったということです。
  その翌日には、18歳の少年が、男性を後ろから線路に突き落とし、電車にはねられ、死亡させました。
  少年は高校を卒業したばかりであり、成績はクラスで1、2番で在学中はまじめでした。父親に進学希望をあきらめさせられたことがショックだったということです。
6月には、秋葉原殺傷事件がありました。犯人は派遣社員をしていた、25歳の男性です。トラックで歩行者天国の通りに突っ込み、ダガーナイフで通行人を刺し、7人が死亡、10人が重軽傷を負いました。
  同じ6月に、長男と次男との3人暮らしの会社員の男性(51)が自宅で長男(17)に殺害されました。長男は通信制高校に入学したが登校せず、働き出したが、出勤しなくなりました。中学時代に離婚した父親に不信感を抱いていたということです。
  7月には、男子中学生(14)によるバスジャック事件がありました。女友だちのことで親に叱られたということです。
  同じ7月に、中学3年生の長女(15)が寝室で就寝中の、会社員の父親を刺殺しました。父親に、勉強のことをうるさく言われていたということです。
  これらの犯罪は、被害者が特定しており、主として、自分に対する、直接の圧力を排除することを目的としている、犯罪と、被害者が不特定的の、八つ当たり型犯罪、つまり「相手はだれでもよかった」型犯罪があります。秋葉原事件は後者の典型例です。
  しかし、後者について大きな変化をもたらす事件が発生しました。08年11月、元厚生事務次官夫婦の殺害事件および元厚生事務次官の妻の殺人未遂事件があり、46歳の無職男性が警視庁に自首しました。
  被害者意識や自己顕示性の強いことでは秋葉原事件などと共通していますが、犯罪による攻撃対象を、不特定のなかから明示し、しぼり込んだということでは、従来とまったく異なる犯罪です。自分を苦しめ、ダメにした敵は漠然とした、すべての人なのではなく「敵の中核は高級官僚である」と明示したのです。そして、犯行を計画し、機会を待ったのです。これが今後の犯罪に影響を与えると見られます。事件から間もなく、無職男性(25)がパソコンに文部科学省幹部の殺害を予告する書き込みをプログに載せ、脅迫容疑で逮捕されました。「詐欺教育に対する天誅(てんちゅう)だ」などと述べているそうです。同容疑者は東大卒業後、職に就いていなかったということです。

 つぎに、親による子どもの虐待死事件の例です。
2月に、生後5ヶ月の乳児が頭を骨折して死亡し、父親の病院事務員(30)が殺人容疑で逮捕されました。「仕事や生活のストレスの矛先を子どもに向けてしまった」と、虐待行為は認めているということです。これまでも乳児は2回病院に運ばれています。
3月に、無職の父(29)と母(21)から暴行を受けた次男(4ヶ月)が意識不明の重態となり、殺人絵未遂容疑で逮捕されました。双子の長男も暴行を繰り返し受けた痕が見つかりました。母は、次男が母乳をぐずって飲まなかったことなどに立腹、胸部から腹部にかけ赤いペンで「ブタ」「死ね」などと書いていました。

(2) 親の否定的影響
動物も親は子どもを守り、子どもを可愛がります。それなのに、人間の親の場合は、子どもを虐待死させる親がいますし、しかも、増加しているということは深刻な問題です。
これらの親たちは、共通してその親との親子関係が悪く、自分の親に愛されたという実感をもてず、被害者意識をもっています。自分の親から虐待された親もいます。虐待の連鎖です。いずれにしても、自己否定観をもち、対人関係がうまくゆかず、ストレスを溜める、しんどい生き方です。子どもに無条件に愛を注ぐことできず、感情しだいの関わり方になります。子育てはとても労力がかかりますが、子どもが自分の思いどおりにならないと、子どもに対して被害意識的になり、いら立ち、子どもに体罰を加えるようになります。体罰で子どもが脅えると、よけいに逆上します。
親に虐待された子どもは成長したら、どうなるのでしょうか。自己否定観、被害者意識をもち、恐怖、怒り、憎しみなどの否定的感情を溜めます。感情を抑圧し続け感情が氷りづけのようになることもあります。人間不信が強く、人間関係はしんどくなります。そのなかから、閉じこもりになったり、犯罪行為に出る人もあるでしよう。親になると、自分の子どもを虐待することもあります。
困難なことであっても、自分の存在を暖かく受け入れてもらえるという体験をもつことが、心の傷が癒されることに役立ちます。

(3) 事件と親子関係
親が気づかなくても、親の子育てが子どもの生き方にとても大きな影響を与えるのです。前述した、ショッキングな犯罪の場合はどうでしょうか。いくつかの犯罪のタイプがありますが、それぞれ過去に類似事件があったと見られる犯罪が多いのです。
ことに、土浦事件、秋葉原事件などは、かっての宮崎勉事件、神戸児童殺傷事件、池田小殺傷事件などと類似性が見られます。共通して「自分は親に愛されている」という実感をもっていません。むしろ、「自分は親から嫌われている。自分なんか、親から見捨てられている」などと、思い込んでいます。親は味方でなく、敵なのです。
  自己否定観や被害者意識は強くなっています。「自分の存在を、親も社会もだれも認めてくれなかった。自分が苦しんできたのは親や社会のせい」と思っています。ですから、「親や社会は自分の敵であり、悪であるから、悪をやっつける犯罪は正義である」という、価値観の倒錯が見られます。自己顕示的で、犯罪によって社会も注目を集めることで自分を認めることができ、自分を英雄視します。前述のように、その敵の中核を明示する犯罪があらわれました。
  なぜ、そこまで精神的に荒廃化したのでしょうか。それは大人社会の影響であり、直接的には、もっと身近で縁が深い、大人の代表である両親の影響であると見られます。

(4) 世代による意識の変化
親の虐待で子どもは苦しんできたように、これらの犯罪者も親の対応で苦しんできたのです。それでは、これらの親も子ども虐待をしてきたのでしょうか。外目には親子関係はよいように見えている場合もあります。しかし、外観だけでは当てになりません。体罰はあったとしても、虐待と認められるレベルの場合であることは必要要件ではないと見られます。むしろ、世間にざらに見られるような、親の、子どもに対する力支配的な対応が積み重なることで子どもを追いつめたのではないかと思われるのです。それが積み重なることで、虐待が加えられたのと同じレベルの否定的な影響を子どもに与えることになることが大きな問題です。
  子どもの意識の変化が見落とされていることも、問題を深刻化しています。敏感で繊細な子どもがふえており、また、自分をひとりの人間として扱われたいという、個我意識の高まりがあります。いつの時代も、子どもは親の愛を求めてますが、子どもは「親の無条件の愛がほしい」と言うようになってきました。子どもはやさしく、傷つきやすく、親からはちょっとしたつもりの、否定的な対応が子どもの気持ちを大きく傷つけています。時代遅れの、「子どもを甘やかしてはいけない、きびしく育てなければいけない」という、社会の子育て観が親の子育てを誤らせてきました。

(5) 親の期待による支配
犯罪者はみんな、「自分は不幸だ」と思っています。子どもが家族の一員であることを幸せだと感じているなら、親の子育てはすばらしいということになります。
親が「子どもを愛している」つもりでも、子ども
への具体的な接し方を通して愛を伝えないと、子ど
もからすれば、親に愛がなかったことになります。愛は表現されることで、愛エネルギーとして伝わります。そのことで親子の信頼のきずながつくられます。子どもが親に甘えてくれることは自然なことです。親がその甘えを受け入れ、抱きしめてあげることが、親の愛として伝わります。
幼い子どもは親なしで生きることはできません。子どもが成長してきても、自分の味方と信じる親を殺すわけはありません。
しかし、親にとって無条件に愛は難しいのです。子育てが親が生き方を見直し、愛を学ぶチャンスなのです。「子どもがこうなってほしい」という我欲が出、それが期待になり、「親の期待どおりにさせることが子どものため」と思ってしまいます。親は強者、子どもは弱者であり、それは力支配・服従の関係になることであり、その積み重ねによって子どもは被害者意識をもち、不登校や犯罪によって押さえてきた反抗をあらわします。
  親は子どものプラスを認めてプラスを伸ばすことより、子どもの欠点をなくそうとして、欠点を非難し、欠点を強めます。「親は一度も自分をほめたことがなく、叱るばかり。だから、自分なんか生まれてこなければよかったとずっと思い、苦しんできた。自殺するか、両親を殺したいと思っている」と言った人がいます。親に認められ、愛されようとして、よい子を演じてきたのに、親に裏切られてきたのです。犯罪の実行にはある程度のエネルギーが要るため、なかなか踏み切れないものの、この人は 心理的には犯罪と紙一重であり、そんな人は何人もいます。

(6) 父親の問題
男性中心社会ですから、父親は家庭では社会の価値観の代表者です。働いて家族を養っていることで父親の役割は果たしているから、子育ては母親の役割であるとして、父親は親として必要な、家族の信頼関係づくりを手抜きしてきました。そのために、仮面家族が増加しつづけています。仮面家族とは表面的にはつながっているものの、信頼とういう精神的なきずなのつくられていない、精神的崩壊家族にことです。
「愛」というと、とまどう父親が多いのです。愛を切り捨た、力中心社会で働いているからです。教員のお父さんが「愛という言葉など聞きたくない」と言いました。そのお父さんは、父親の暴力を受けて育ったが、ちゃんと社会人としてやっており、「今から思うと、そのくらいにしてくれてよかった」と思っているそうです。 よくやってきた面はありますが、そんなに繊細でなく、個我意識もそんなに高くなかった面もあるでしょう。徹底した力中心の人です。自分の子どもに体罰を加えており、子どもは閉じこもり状態です。「自分がちゃんとやれているのに、子どもは情けないやつだ」と思っていました。

(7) 社会の精神的荒廃化 
家族の背景にあるのは、この社会は、敗戦により、自分のなかのよりどころである魂を否定し、精神面である愛を切り捨てました。戦時中は、軍国主義の、ひどい社会でしたが、大和魂をよりどころとしようとしており、若い兵士は「お母さん」と言って戦死することが多かったのです。さかのぼって明治時代には「和魂洋才」といっていました。西郷隆盛は「敬天愛人」といっています。
  人類の根本問題である「どう生きるか」に目を向けず、「どう儲けるか」が中心になり、自分の内面である良心にもとづいて生きるのではなく、外面の所属組織に「どう合わせるか」が中心になりました。カネ、モノ、力、外観中心となり、社会は精神的に腐敗化し、民族的生命も低下しつつあります。
  「もと暖かい親になってほしい。もっと暖かい社会になってほしい。」それが犯行した人たちの、満たされなかった、内奥の切なるアピールであると感じます。
子どもは親にとっても、国にとっても宝物です。カネは大事ですが、自分に暖かくなり、子どもに暖かくなり、さらに人に暖かくなる輪を広げることによって、社会を変えることが必要になっています。



 

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