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カウンセラーとしての私の歩み

@私は京大文学研究科修士課程(心理学専攻)を修了し、法務省矯正局採用になり、大阪少年鑑別所、大阪刑務所、和歌山少年鑑別所の現場に勤務しました。そこで非行少年、犯罪者などと接し、ことに大阪刑務所では独居房にいる収容者の人のカウンセリングを行いました。
ついで、関西大学相談室に勤め、学生カウンセラーを体験しました。しかし、自分のカウンセリングに納得できず、長い間、宗教教団を遍歴したものの、納得できる解答がえられませんでした。創造健康の活動をしておられた木村裕昭医博(故人)氏と出会い、自分のなかに内在する真我に目を向けるようになり、カウンセリングに仕事にもどりました。
その前に、河合隼雄先生にお目にかかり、京大教育学部での先生の臨床心理学の講義を聴講しました。先生は、「私がユング心理学を学ぼうとしている」と思われたのですが、私はそのつもりはなく、即自分流のカウンセリングをやろうとしていたのです。

Aカウンセリングで働ける場はなく、自宅で創造的カウンセリング・センターを始め、ひとりでけわしい道を開いていくしかなかったのです。その直前に、私の妻のおいが戸塚ヨットスクールの犠牲第1号になり、危険な戸塚式訓練法と向き合うことになりました。
センターの経営が大変なため、関西心理センターに勤務しました、所長は精神科医であり、そばにクリニックがありました。行動療法を看板にしていましたが、私は自分流のカウンセリングでした。
私のセンターでは、不登校のケースが大半でしたが、こちらではクリニック通院中の患者さんのカウンセリングもあり、症状は統合失調症(当時は精神分裂病といった)、うつ病、いろんな神経症などさまざまであり、自分のカウンセリングで効果があがることを実証できました。また、精神科医療はどのようなものであるかを知ることができました。
精神科医療は薬物療法であり、脳内物質(例、ドーパミン)の多い、少ないを問題にします。私は精神科の治療対象はすべてストレス症状であり、ストレスを溜めつづけるような生き方の問題であることを理解しています。ですから、私のカウンセリングは「どう生きるか」という、人類の根本問題を扱ってきました。
薬によってすばらしい生き方に変えることはできませんから、薬物療法は  療法であるといえます。
所長と親しい精神科医の野田俊作先生がアメリカにあるアドラー研究所に留学して帰朝し、アドラー研究会をはじめられ、私はそれに参加しました。私は初めてカウンセリングのスーパーサイズを受けることになりました。ユング心理学心理療法士の資格を与えられました。ユング心理学は自分流のカウンセリングのなかに吸収しました。野田先生はその後、わが国でアドラー心理学会を設立し、初代会長になりました。

B昭和62年(1987年)2月、新大阪駅前でストレスカウンセリング・センターを設立しました。そのときに、それまでの臨床体験を踏まえて、自分なりに「閉じこもり症候群(のち、症候群を省略)」を体系化しました。不登校のケースが多かったのですが、出勤しにくくなるケースもかなりありましたので、「出勤拒否(出社拒否を含む)と名づけ、主たる「閉じこもり」は不登校(登校拒否)と出勤拒否であるとしました。学校教員の不登校がありましたが、それは出勤拒否でもあるのです。
不登校には、発症年齢で分けると、思春期以降の場合と思春期前の低年齢型の場合があります。「どう生きるか」の根本問題に出会うのは思春期以降であり、思春期型不登校が閉じこもりです。
症状から見た思春期の巾はとても大きく、思春期以降〜30歳ころまでになります。
出勤拒否の場合は、思春期型、中年期型、熟・高年期型に分かれます。ですから、閉じこもりもこの三つのタイプになります。
さらに、少数ながら確実にあるのは主婦の「閉じこもり」です。来所は40代から50代になってからのことが多いのです。ほぼすべて思春期型です。特徴は育児拒否、家事拒否などがあります。

C和歌山県中央児童相談所に非常勤で勤めました。電話相談員の指導などの仕事です。
ここでの電話相談は傾聴を主としていましたが、電話してくる親などは「具体的にどうすればよいのか」のアドバイスを求めており、私はどんどんアドバイスしました。

D私のカウンセリング活動は社会に役立つと確信しています。平成14年(2002年)9月にNPO法人になりました。

E最近になって弁護士さんから裁判中の人のカウンセリングの依頼がありました。大阪弁護士会で私のことを聞いたということでした。3人の弁護士さんから依頼がつづきました。
1人は60代の女性で、常習窃盗であり、裁判で実刑になり、すぐ服役しました。2人については裁判所に意見書を出しました。その1人は20代後半の女性で、もと看護師です。事件の背景に、生育史的に父親との関係が悪いことが大きく影響しており、親子関係の調整が必要でした。もう1人はよい子的に頑張りつづけてきた主婦であり、数回のカウンセリングが有効でした。
私はかつて犯罪者、非行者と接する仕事をしていましたが、その後のカウンセリング体験により、当時と段違いの、本格的なカウンセリングを行えるようになっています。

F昨年(2010年)10月より、当センターの近くにある大阪市立青少年センター(ココプラザ)と当センターの協働事業の合意があり、私が毎週月曜日、土曜日それぞれ14時より、ココプラザでカウンセリングを行うようになりました。また、随時、虐待問題などの公開セミナーも行っています。