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平成18年度の講習会

12月「閉じこもりー理想我と現実我の葛藤」

自己内部の葛藤は二つの場合があります。第1は心の葛藤であり、理想我と現実我の葛藤から発生します。第2は心と魂の葛藤であり、闇と光の戦いです。これがより根本の葛藤です。今回は第1の問題を扱います。
しんどい状態の人ほど、何かちょっとしたことをやるときも、心が葛藤し、やりにくくなることがよくあります。理想我は「頑張ってちゃんとやらなければいけない」といいます。それに対して現実我は「そんなにちゃんとできるのだろうか。できないのではないか」と不安になります。不安が強くなると、しんどくなり、できなくなります。それに対して理想我は「そんなことくらいできなくて、自分はダメな人間だ」と自分(現実我)を責め、落ち込みます。心はそんな悪循環を繰り返しやすいのです。
3歳ごろから主として両親の影響を受けて自我意識をつくるようになり、思春期ごろにほぼつくり終えます。その主導的な中核になるのが、両親の期待をとり入れた自分の期待像、つまり理想我です。それに対して、現実の欲求や感情を含有しているのが現実我です。理想我は現実我に対して「〜すべきだ」とか、「〜をすべきでない」とかの命令、禁止で現実我をコントロールしようとします。また、現実我が理想我にコントロールされて表現した言動について、理想我が「そんなやり方ではいけない」などと、評価します。理想我によって否定された欲求は無意識層に抑圧されます。これは否定的なエネルギーとして溜まり、これを影の現実我と名づけました。
理想我を通して修正され、表現された現実我は、変容した現実我であり、表現我、パーソナリティと呼んでいます。
理想我が「〜せよ」と言い、現実我は「そんなこと、とてもできない」と言います。このような理想我、現実我の間の問答がしばしば自分の中で繰り返されています。これが堂々めぐり的思考になります。
理想我はあるべき自分像です。後天的につくられた概念です。それが潜在意識に条件づけられると、それが「本当の自分」のように思い込んでしまいます。理想我の基準の高低がプライドであり、基準が高ければ、プライドが高いことになります。プライドを必死に守ろうとして苦しみます。
理想我という期待を通して現実我を評価しますから、現実我をあるがままに受け入れることができず、葛藤が起こります。「頑張ってちゃんとしなければいけない」という、理想我のしばりが強い人ほど、現実我との間の葛藤が強くなり、しんどくなります。
理想我によって現実我は傷つき、現実我のマイナスが強まります。理想我は「もっとましな自分」と見たいわけですから、現実我のマイナスをあるがままに受け入れることができず、その現実我のマイナスを現実我が恐れ、苦しみを強めます。
このような葛藤や恐怖をいくら考えても解決できません。それがいい、悪いではなく、その葛藤や恐怖に気づくことが心との付き合い練習になります。この気づきはしばられていない、自由な、高い意識が働いている状態です。心はしばられた、低い意識なのです。さらに、その自由な意識でその葛藤や恐怖を客観的に観察するとき、葛藤が消え、あるがままに受け入れている状態があらわれてくるでしょう。この自由な意識が魂意識なのです。

11月「「閉じこもりーダメ意識がダメにする」

思うようにならないことがストレスになります。思うようにならないことが繰り返されると、ストレスが強まりますが、それだけでなく、「また、うまくいかないのではないか」と考え、「そうなればどうしよう」という不安、恐怖が強まります。そのことによってもストレスが強まります。
ストレスは否定的な心のエネルギーですから、ストレスが強くなるほど、心は否定でいっぱいになります。そして、過去や将来の否定的なことを堂々めぐり的に考えつづけ、さらにストレスも強まります。そのことで状態が悪化すると、閉じこもり状態になります。
「うまくいかないのではないか」と考えつづけ、さらに状態が悪化するほど、「ダメになるのではないか」と考えつづけるようになります。すると、恐怖が強まり、「うまくいかない」、「ダメになる」と考えつづけ、マイナスイメージをつづけることになります。
われわれは強く思い、明確にイメージ化したことを実現する力をもっていますが、強いマイナス思考、マイナスイメージによってマイナスのことをひきよせ、ダメな状態を創造しつづけるようになります。これが潜在意識に条件づけられ、習慣していいますから、マイナスにしばられてしまいます。これを変えようとしても変えられないのです。しかし、これが変わらないと、立ち上がっていけないという、困難なテーマに出会うのです。

9月「閉じこもりー自分の心との付き合いが人間関係の根本」

ストレスが溜まるとは、目には見えないとしても、否定的な心のエネルギーが体に蓄積されている状態です。そのストレスによって生命エネルギーが低下し、ストレスが溜まるほど、しんどくなります。

また、心も否定でいっぱいになり、否定的なことを考えつづけ、そのことによって否定的な感情(恐怖、怒り、憎しみなど)を強め、それがストレスを強めることになり、否定的な生き方になります。

心の揺れるままに支配されるのか、心をコントロールできるようになるかによって、生き方が違ってきます。心の働きはどうにもできないと思っている人が多いのですが、心の働き方は条件づけられ、習慣化された働き方をしています。ですから、心は自動的に働いているように思ってしまうのです。条件づけを変えるように実践練習すれば、心を道具として生かして使うことができるようになります。

たとえば、感情が揺れると、つい、否定的な反応をしやすくなります。非難したり、否定的感情を表現したりします。それに対して、相手も否定的な反応をしやすく、そうなると、衝突します。
しかし、感情が揺れていることに気付き、感情を静めることができるなら、まったく違った、肯定的な反応をすることもできるようになります。

このように、練習して、自分の心をコントロールできるようになれば、それは心との付き合い方が上手になったということであり、そのことによって人間関係をよくしていくこともできるようになります。
自分の心との付き合い方、心に含まれる感情、ことに恐怖との付き合い方の実践練習は生きていくうえできわめて重要な練習なのです。さらに、自分の心のつくるパーソナリティーと自分自身との付き合い方が人間関係の根本になります。

あるがままの自分、パーソナリティーを受け入れられるようになることで自己肯定感をもてるようになります。自己肯定感をもてる人は、肯定的な人間関係をつくれるようになります。もっとも、いろんな人がいますから、「すべての人と仲よく」というわけにはいきません。否定的な渦に巻き込まれるような人間関係は避けることも必要です。

8月講習会「閉じこもりー親子関係が根本原因」

人間関係の基本は親子関係

私がカウンセリングに戻って20数年になりますが、不登校を含む、閉じこもりのケースがずっと多かったのです。その臨床体験から、閉じこもっている人は全員、親が自分のことを大事に思ってくれるという、両親の愛の実感をもっていないという事実がはっきりしました。親の側からは、子どもを愛してきたつもりの場合もありますが、その場合も、その愛を子どもにうまく伝えていなかったのです。

しかも、閉じこもり生活が長年つづき、親子関係も不信関係になっており、本人も30代、40代になっているのに、本人はまだ親の愛を求めつづけているという事実があります。本人は愛を求めつづけているのに、それを満たしてくれない親に強い不満を蓄めつづけることになります。
閉じこもりは心を閉ざして、しんどい人間関係を避ける状態ですが、親とはある程度接触する場合と、親に対しても心を強く閉ざして、親を避ける場合があります。

親を避けている場合も含めて、本人がもっとも関心を向けているのは両親のことであり、「両親が自分のことをどう思っているのか」を気にしつづけています。本人にとってもっとも重要な人間関係は親子関係であり、本人にあい対する人間の代表が親であると思い込んでいると見られます。

それほど、本人は親子関係の影響を強く受けているという事実に社会は真剣な目を向けることが必要です。子どもが親の愛されている存在だと実感をもっていれば、子どもは自己肯定感をもち、精神的に健康に成長できます。それに対して、愛の実感をもてないと、「自分は親にとってどうでもいい存在だ」と感じ、自己否定感をもち、精神的に荒廃化する危険があります。ですから、「子どもを甘やかさず、親に子どもを服従させる」という従来の社会の子育観を「両親が子どもに無条件の愛を注ぐことが根本的に大事」という子育観に変えることが必要になっています。

 

なぜ、親を殺すのか

今年に入って、子どもによる親殺し事件が増加し、つづいていることは、親子関係が深刻な状況になっていることを示しています。その犯行者のうち、一部は閉じこもりの人ですが、多くは閉じこもっていない人であり、しかも、それまでまじめでよい子と思われている人が含まれています。

しかも、被害者側である親に極端な虐待は見られず、親がきびしかったとしても、そんな親はざらにいると見られ、そこらにある普通の家庭で深刻な事件が発生しているのです。それだけ、各家庭での子育ての見直しが緊急の必要事になっているのです。
このように親子関係の重要度が高まっている現在、子どもの閉じこもり、非行などを含む、さまざまな子どもの問題行動は「親子関係が原因」といえるでしょう。そして、親の子育観は、親の、親との親子関係と社会の子育観の影響を受けているのです。

7月講習会「閉じこもり」−「本当の私」と「エゴの私」

繰り返し述べてきたことですが、「閉じこもり」は「心を閉ざして自室にこもる状態」です。そして、否定的なことを堂々めぐり的に考えつづけることが多いのです。

それまでよく頑張ってやってきたとしても、人間関係に挫折し、人間関係でしんどくなることを恐れ、心を閉ざして、しんどくなりそうな場面を避けつづけるようになります。そして必死に守ろうとしているのは、「プライド」で象徴される、「エゴのわたし」なのです。
「エゴのわたし」を守ったのですから、「エゴのわたし」は満足したはずです。それなのに自分の奥で、「何か大事なことを忘れているような、むなしさ」を感じるのはなぜでしょうか。だれがそう感じるのでしょうか。

われわれは「エゴのわたし」を「本当のわたし」と思ってきました。しかし、「エゴのわたし」はわれわれがこの世に生まれてから、自分の心で作りあげた自己概念であるといえます。自我意識は理想我、現実我、影の現実我という構造になっており、そのことによってパーソナリティが作られます。

自分の心の動きを、景色を見ているように、客観的に観察する練習を繰り返していると、観察している、自由な意識と観察されている心という、しばられた意識の違いが体験的に理解できるようになります。この観察している意識が「本当のわたし」なのです。「本当のわたし」のことを自分自身、真我、魂意識ともいいます。

閉じこもっている人が回復してくると、自発的に、緊張しながらでも、アルバイトし出すことがあります。体や心もアルバイトでくたくたになりますが、それでも「何かすっきりしている」と言う人がときどきいます。それは「エゴのわたし」はしんどいけれども、「本当のわたし」が喜んでいることを感じるからです。

以下、エックハルト・トール 著『世界でいちばん古くて大切なスピリチュアルの教え』あさりみちこ訳、(徳間書店)より引用します。 〔わたくしたちが自分について考えるとき、または語るとき、それはたいてい「本当の自分」でははく、個我である「わたし」に関することです。これは、「好き嫌い」、「恐れ」や「願望」のある「わたし」であり、決して満足することのない「わたし」です。この「わたし」は過去によって条件づけられた心がこしらえたもので、未来に満たされるために、四六時中なにかを求めているのです。

では、この「わたし」を「観察している」のはいったい誰でしょう?あなたの身体的心理的な一過性の形態を意識しているのは、いったい誰でしょう?それが、ー「本当の自分」−です。これが、より深淵な部分にある「わたし」であり、過去にも未来にも束縛されていない「わたし」なのです。〕

〔ゴールを定めたかったら、定めてもいいのです。ただ、それを達成するかどうかは、さほど重要ではないことに気づいてください。純粋な意識にもとづいて行動していないかぎり、「いま、この瞬間」を、「目的のための手段」にしてしまっているのです。純粋な意識にもとづいて行動しているかぎり、行動すること自体が、すべての瞬間に充実したものになります。
あなたはもう「いま、この瞬間」を「目的のための手段」にするのは、典型的なエゴ意識です。〕

「こうでなければダメだ」という、「エゴのわたし」の思考が「わたし」をダメにします。閉じこもってしまうと、何があろうと、いま、この瞬間、集中してやれることがあれば、人に迷惑を与えることでなければ、何でもいいですから、集中してやってみませんか。それができたときは、「本当のわたし」が働き出します。

「閉じこもり」を脱出するのに役立つこと(例、夜でも散歩してみる)を、できるところから実践し、積み重ねていくなら、「本当のわたし」が働くようになり、かならず脱出できるレベルにいたるのです。

6月講習会「戸塚式訓練法にだまされるな」〜恐怖による力支配は人を癒やさない〜

最近の名古屋のひきこもりの人のNPO法人の支援機関で起きた死亡事件は、閉じこもり(ひきこもりを含む)の子どもをもつ親や家族に大きな衝撃を与えています。こんな事件はこれまで何度も繰り返されてきました。私たちは今ここで「本当の解決には何が必要か」ということに本気で目を向けるときだと思います。

たまたま、戸塚ヨットスクールを主宰する戸塚氏の出所によって、体罰教育の必要性をもてはやす動きも出てきました。
閉じこもりの問題や教育問題は体罰(強制)で本当に解決するのでしょうか。
今回は、名古屋の事件、戸塚式訓練法をテーマに、強制によって問題解決はできないことを検証していきます。

5月講習会「自己否定感と自己肯定感」

閉じこもりの人は「自分は何をやってもうまくできない、どうせ、自分はダメな人間だ」という、強い自己否定観をもっています。そうして、すべてを否定的に考えつづけ、否定的な生き方を強めていきます。

自分の存在を否定的磁場化しつづけることになります。そのことが自分の生きている生命の働きを妨害し、生命エネルギーを低下させます。マイナスのことばかりを引き寄せるようになります。それはよくなる方向とまったく逆の方向です。
そのような人の両親との親子関係も不信関係になっています。両親が「子どもを大事に育てたつもり」でも、その愛の実感が本人さんに伝わっていないことが問題です。子どもとして自己肯定感をもてるように育てられてこなかったという、共通した事実にゆきあたります。

自己肯定感とは、「自分はこの家で受け入れられている存在だ」「自分は両親に喜ばれている存在だ」、「自分は生きるねうちがある」「自分の存在はOKなんだ」などという実感です。
よくなり、閉じこもりから脱出するには、困難ではあっても、少しずつでも自己肯定感をもてるようになることが必要です。そのためには、両親にとってとても困難であっても、子育てのやり直しが両親の協力のテーマです。両親にも、本人さんにも魂が宿っていますから、それぞれのホンネの奥で和解を願っていますから、否定的な心が妨害しても、関係の修復は可能なのです。

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